無垢材と集成材はどちらがいいのか?−2



前回の続きです。

集成材は生産施設さえあればどんな大きなものでも作れますから、大規模な木造をつくるにはなくてはならない技術です。無垢材だったら材料の大きさにも限度があります。作れる空間にも制約が大きくかかります。集成材は木材の可能性を一気に広げるのです。これからの木造の可能性も集成材とともにあると言っても過言ではないでしょう。使われてきた実績が短いという人もいますが、北欧では歴史もあり100年を超える建物もあるそうです。

と言いながら、私が現在設計中の「わらしべの里保育所」では集成材を使わず無垢材を使って作ることにしました。 保育施設は子どもたちの安全を守る使命がありますから、間違いがあってはいけません。そうすると、品質の安定した歪むことの少ない集成材を使うべきだと考えるのが本筋でしょう。多くの設計者はそう考えるのだと思います。 世の中には無垢材こそ木の良さを伝えるものだとして集成材を認めない人たちもいます。森は神が宿る場所、そこに生える樹々にも神が宿る畏怖するものとして神聖化して集成材を汚れたものとする、一種の宗教的な心情も理解できないわけではありません。がしかし、私はそんな考えで無垢材にこだわるわけではありません。集成材を認めない考えはとても視野が狭い考えだと思います。

その上で、私は集成材を使おうとは考えなかった。それはなぜでしょうか?

それをお話するためには「わらしべの里」さんについてお話ししておく必要があります。

「わらしべの里」さんは、深谷市のさくらんぼ保育園をつくった斎藤公子さんの意思を継いだ幼児保育を実践しています。理事長さんのお話を何度か聞いている中で私なりに理解したその教育方針とは、子どもたちは一人一人個性がある、それを大人の都合で一括して管理してはいけない、のびのびそれぞれの個性を育てていかなくてはいけないということです。保育の現場も何度も見学させていただきましたが、子どもたちが自由にのびのびと園舎で過ごしている姿が印象的で、職員はその子どもたちの自由な気持を支えてあげることに尽力しています。 教育というのは、極論ではありますが、ともすれば子どもたちを同じタガにはめて管理しやすくするものだという面があると思います。しかし、わらしべの里では子どもたちを管理するということは一切しません。もちろんルールはありますが、基本は子どもたちを自由にしています。理事長さんのお話では子どもたちは自由にされることで、自分で仲間とのルールを発見してゆくのだそうです。上から教えるのではなく自分で発見することを学ぶのです。 そのためには、まずはひとりひとり違う子どもたちの個性を認めることから始めます。

そんな「わらしべの里」をつくる材料としてふさわしいのは何か?そんなことをずっと考えていました。均一なラミナで作られた均質な木材とでも言うべき集成材、それを、わらしべの里に使うことには大きな違和感があると思いました。杢目や節や赤味と白太のマダラがある、言ってみれば均一ではない一本一本違う素材としての木こそが、わらしべの里の空間にふさわしいと。木というものが一本として同じものがないという証しです。それは、子どもたちの個性そのもの、個性が集まった園舎にふさわしい表現であると。

設計者として、山ありきではありません。もちろん、日本の山は目の前に厳然と存在し、そこに森があり木材となる木がある。それを前提としない設計はありえないと考えています。その意味では山ありきの設計です。しかし、建物はそれを使う人があってこそのもの、使う人のものです。人ありき、そこからスタートしなくてはいけません。

無垢材と集成材、どちらがいいのか?それぞれに良さも弱点もあります。しかし、これから作られる建物、それを使う人達にとって、どちらがふさわしいかを考え判断すること。それこそが設計です。私は森と人をつなぐことが設計と考えます。これが私の答えです。

アトリエフルカワ一級建築士事務所 古川泰司

(初出:2015年1月7日 キノイエセブンFacebookページ)

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